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中 体 連
地形歴史
古代遺跡
概要
日本の西の端、東シナ海の只中にあり北東から西南へ約90kmにわたって斜走する。北の方から中通島、若松 島、奈留島、久賀島、福江島と続きそれらの属島である、大小127の島々からなり総面積は約633平方kmにおよぶ、福江島大瀬崎の南西65kmに有る男 女群島は、、吾が日の本の全ての釣り人が一生に1度はなんとしても釣行したいと夢にまで見る黒潮本流に存し、幾多の大物が上がっている絶海の孤島群で多く の名だたる名礁を有している。
また位置が日の本の西端に位置するので大陸に近いことから、上代遣唐使の寄港地として上五島の 今里や三井楽の遣唐使ふるさと館などが有名である、寄港者として有名な人には704年の第7次遣唐使船の乗員であった山上憶良が帰朝の際玉之浦へ漂着し た。804年の第16次遣唐船4隻、久賀島田ノ浦に寄泊して渡唐、最澄(38才)、空海(31才)ら随行している。
歴史 古代遺跡
約2500万年前の新生代頃、断層、隆起、沈降運動や造山活動の結果、このような多島地形を形成したらし い、中世層の上に花崗岩玄武岩などが噴出し、臼状火山である鬼岳を中心とし鬼岳火山から流出した溶岩が延々7キロにわたって流れ込み、変化に富んだ海岸線 を形づくっている鐙瀬海岸や三井楽町の玄武岩台地、嵯峨の島、また中通島にあっては新魚目町の赤岳などの火山地形は世界的に貴重な存在である。
五島列島の火山
鐙瀬海岸から鬼岳を望む
写真提供:福江市五島新聞ふるさと情報様
北の男岳のホマーテ(臼状)火山と南の女岳のアスピーテ(盾状)火山が接合してできた島です。(
写真提供三井楽町)
満開の桜の季節に
沈み行く夕日に映える
赤岳を狙っています
写真提供:平田有隣 様
海岸線
海岸線は非常に複雑なリアス式海岸で、若松瀬戸,玉之浦湾の溺谷、、玉之浦の大瀬崎灯台付近を中心として総延長20kmの垂直海食崖、有川のはまぐんの浜や三井楽の高浜海水浴場など西海国立公園の屈指の絶景を有する。
日本の灯台50選「大瀬崎灯台」
総延長20kmの垂直海食崖
写真提供 玉之浦町様
玉之浦湾の溺谷、
三井楽の高浜海水浴場
環境庁による『日本の水浴場88選』『日本の
海
水浴場55選』日本の渚百選中央委員会による『日本の渚百選』に選定される.(
写真提供三井楽町&
恵賜先生
)
嵯峨島の噴火でできた「噴石丘」
(
写真提供
恵賜先生
)
若松瀬戸より若松大橋を望む
若松大橋の観覧ポイント、龍観山より若松大橋を望む
若松町日の島のdeerパークで休息中の鹿
若松町日の島のdeerパークで鹿に餌を与える若い女性
有川町の
蛤の浜海水浴場
松食い虫の被害から立ち直り往年の
美しい松の防砂林が広がる遊歩道
正面より望む
2001年3月環境庁による『日本の水浴場88選』に選定される.
えんび川河口付近
満潮の夜にはウナギとセイゴの好ポイントになります
有川町の頭ヶ島遺跡
古代遺跡
椿の名花たまのうら
年代(約)
時代
記 事
2万年前頃
旧石器時代
五島に人が住み着いた
城ガ岳遺跡(宇久島)オオサコ遺跡玉石鼻遺跡(小値賀島)
1万2千年前頃
縄文時代草創期
9千年前頃
同 早期
ハモギ遺跡、目崎遺跡(小値賀島)
7千年前頃
同 前期
頭ガ島遺跡
(有川町)大板部島洞窟遺跡江湖貝塚、堂崎遺跡(福江市)
5千年前頃
同 中期
頭ガ島遺跡
(有川町)鰐川遺跡(岐宿町)、殿崎遺跡(小値賀町)、
4千年前頃
同 後期
鰐川遺跡(岐宿町)、殿崎遺跡(小値賀町)、白浜遺跡(福江市)、宮下貝塚(富江町)
3千年前頃
同 晩期
白浜貝塚、水の窪遺跡、中島遺跡(以上福江市)
2300年前頃
弥生時代前期
浜郷遺跡(有川町)白浜貝塚(福江市)、寄神貝塚(岐宿町)、、殿寺遺跡(小値賀町)
約2100年前頃
同 中期
大浜遺跡(福江市)、寄神貝塚(岐宿町)、神の崎遺跡(小値賀町)
約1900年前頃
同 後期
大浜遺跡(福江市)、神の崎遺跡(小値賀町)
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